11日目

  • On 2018-02-11 ·

週末はダウンタウンを離れて、郊外の日系コミュニティを垣間見た。私の親しい友人のお母さんが、最近サンフランシスコからウエスト・ロサンゼルスに引っ越したのでぜひ会いたいと話していたのが早くも実現した。もともとロサンゼルス生まれの彼女のお父さんは帰米2世と言って、日系人としてアメリカに生まれたが、日本の教育を受けるために日本で大学時代を過ごすあいだに戦争を経験し、戦後になってからアメリカに帰ってきた人だった。ハワイ出身の母方を数えると4世にあたるのだが、普通は父方を取るので日系3世ということになる。

彼女とそのご主人を中心に、3組のご夫婦と一緒に週末を過ごした。一緒に食事に行ったり、ご主人の本格的な趣味であるウィンド・オーケストラのバレンタインコンサートに連れて行ってもらったりした。みんな日本から移住して何十年もここに暮している人たち。しかし、誰もリトルトーキョーのような日本人町を経由していなかった。ロサンゼルスの日系コミュニティというのは本当にたくさんあって、日本人経営の大きなスーパーだってどこにでもあるから、新しく来た人はわざわざ日本人町に行く理由がないんだそうだ。

ある女性は、ご主人と一緒にロサンゼルスで日系の学習塾を開業した経営者。500人の子どもたちが通う大きな教室にはもともと移民が多くて、その出身をたどると数十カ国にも及ぶという。彼女の引越し作業をお手伝いすることになり、大きな庭付きの家で食器を紙に包みながら色々な話を聞かせてもらった。今は子どもたちがそれぞれ独立して外に出て行ったので、引退後は日本に帰ろうと決めているそうだ。でも、どう見ても学習塾をたたむのはまだまだ先だという風で、これから30年住んだ家を売りに出し、教室の近くに引っ越してさらにバリバリ仕事をするところだ。「日本からの移住者で、老後は日本に帰ろうと考えている人は多いんですか?」と聞くと、「半々だね」という答えが帰ってきた。自分の子どもたちがアメリカにいるなら、絶対にアメリカに残りたがる。子どもたちが側にいなければ、日本に帰る人も多いんじゃないかな、という説明に妙に納得した。

ところで、最近いろんな人に「グリーンカード」の話を聞いてみることが面白くてはまっている。この方の場合、日本人のご主人と結婚してすぐにアメリカ移住を志したものの、グリーンカードの取得に失敗し、退去命令が下されてしまった。それから10年くらい不法滞在で潜伏せざるをえなかったため、そのあいだはずいぶん嫌な思いもしたという。でも、彼女曰くアメリカというのは不思議な国で、あるとき恩赦として不法滞在者にグリーンカードを与える機会があった。普通はそこで不法滞在を証明するのがまた難しいはずなのに、退去命令の紙をもっていたのですんなりグリーンカードを取得できたという。なんだかおかしな話だ。

もう一組の夫婦のご主人は82歳。2人の息子たちは英語で育てたが、今は奥様と二人暮らし。「もう英語は使わないからほとんど忘れちゃったし、聞き取れなくなった」とおっしゃる。私が今回どうしてここに来たのか、説明しづらい自己紹介をいろいろ聞いてくれた。「今アートの中にはプロジェクト型の作品という大きな流れがあって、多くの人と関わり合いながら、その土地の背景や人々が抱える問題そのものを資源として新しいものを生み出す芸術活動がある」というような話をさせてもらった。その話をした場所がよかった。車が走っている広い道の向こうに乾燥したカリフォルニアの山並みが見えて、その夫婦はこの道の先で、クリスト&ジャンヌ=クロードのプロジェクト『アンブレラ、日本−アメリカ合衆国、1984-91』を目撃したときの記憶を鮮明に思い出して教えてくれた。私は映像でしか見たことのないそのプロジェクトを彼らはここで経験していて、あの黄色い傘がなぜ芸術なのかわからないけれども本当にきれいだったことを話してくれた。「彼らはまさにその分野を開いた先駆けのアーティストだと思う」と私は付け加えた。

帰りがけに、私の友達のお母さんが私をリトルトーキョーまで送ってくれるついでに、カズコさんという人を紹介してくれた。彼女はLTSCのオフィスのすぐ近くのマンションに住んでいて、この辺りで育ったので町のことをよく知っている。92歳のお母さんと、お姉さんと一緒に暮らしている。おばあちゃん(カズコさんのお母さん)は「なにもわからんで、ごめんなさい」とずっと、何度も言っていた。こんどカズコさんの家にまた来させてもらえることになった。とても楽しみ。