7日目

  • On 2018-02-07 ·

滞在しているダイマルホテルのすぐ隣に、Far Barというバーがある。入り口の扉にはうっすらと、「遠東楼」の文字。ここは昔、日系人が冠婚葬祭に使うような宴会場つきの中華料理店だったところ。1994年の大きな地震で被害に遭い、その後LTSCが買い受け、10年がかりで改装してバーにしたというスペース。

ここで、グラントが紹介してくれた日本人のヤスエさんというLTSCのコミュニティー・オーガナイザーと初めて会うことになっていた。店に入ってみるとすでに先についていた彼女と日本語で挨拶して、ハッピーアワーのサッポロビールで乾杯した。そして、このエリアに住む高齢者のことをいろいろ聞かせてもらった。

車社会のロサンゼルスで車を持たず、ほとんど日本語だけで生活している日系人が多くいらっしゃるそうだ。日系と言っても、戦前に国の政策で移民してきた方々の背景とはまた違い、いま日本語で生活している多くのシニアは「新1世」と呼ばれ、戦後になってから様々な理由で渡ってきた人たちのことだという。どうしても引きこもりがちになる彼らにとって、コミュニティのイベントは外に出る大切なきっかけだそう。私が日系の高齢者と会ってみたいと強く希望していることをグラントから聞いて、ヤスエさんは私を高齢者の集まるランチに招待してくれた。それが、今日なのだ。

その話をする前に、Far Barではもう一つおもしろい出会いがあった。グラントとスコットがすぐに合流し、さらにもう一人、クレイトンさんというアーティストが加わった。彼はサンタモニカの18th St. アーツセンターにスタジオを持つ、写真とデジタルグラフィックのアーティストだ。日本のこともよく知っていて、過去1年間のリサーチで7回ほど日本と行き来したという。彼のBomb Makersという作品はとても興味深かった。

これは広島・長崎に投下された原爆の開発技術者だった女性たちをモチーフにしたシリーズだ。彼女たちは原爆を生み出すことに貢献したが、その多くは後に自殺したということを初めて知った。ヤスエさんが質問した。「アメリカは今でも、原爆を良しとしているの?北朝鮮とのあいだのことでも?」クレイトンとスコットは概ねそうだ、と言った。「悲惨なことだけど、戦争を終わらせるためにはやむを得なかったのだということになっていると思う」もちろん、その場にいた全員が、この考えに反対の立場だということは、付け加えておかなければならない。

そのあと、時間ができたので、近所にある「Go for Broke」という教育センターに立ち寄った。
http://www.goforbroke.org/visit/exhibit/index.php

展示の一番最初に目に入るのが、エンドレス再生される真珠湾攻撃の映像だった。それが、戦中のアメリカにおける日本人迫害の歴史の始まりであったことを伝えるわかりやすいイントロダクションだということは頭ではわかっても、立ち昇り続ける煙がこの展示の中で一番私には印象的だった。私は今でも、日本に住んでいるときの体感として「なんとなくアメリカに憧れている日本人」はかなり多いように思う。しかし、休館日以外は毎日真珠湾のテロの記憶を途切れなく再生し続けているこの場所と、私の知っている日本の間には変な距離があると感じた。