ツトム・マエハラさんのこと

  • On 2018-02-22 ·

日曜日は、ジョナサンの家族と過ごした。

ディーンの子供たち、グラントの子供たち、エヴリンの孫、レスリーの子供たちと姪っ子、この辺の子供たちみんながここで育つという、有名な「西本願寺」でジョナサン・ママと待ち合わせした。もうこの景色は日本にしか見えない!

着いたらちょうど中国の新年をお祝いする催しの最中だったので、いただきもののフォーチュンクッキーで今年の運を占ってみたりした。

そのあと、車で海辺のジョナサンの家へ。先日見損なったビーチも見ることができた。大きなヨットハーバーと、ほとんど今は空き地になっている、広い海軍基地を見た。

そうそう!この家族には人懐っこいハチとココという2匹の犬がいて、ココが餅を…。

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99歳のおじいちゃん、ツトムさんは、オレゴンで生まれて広島で教育を受け、戦争を経験し、1946年に帰米した。それは27歳のときのこと。普段はハリウッドの山の上に住んでいるというツトムさんは、大きなハンバーガーを1人で食べて、手押しのカートに捕まって、ゆっくりゆっくり1人で歩いた。家族は手を出さずに、「彼が身体を使うのは大事なことだから」と見守っていた。

ツトムさんはダウンタウンで「安全HARDWARE」という道具屋さんを長く営んだ。私の滞在しているダイマルホテルから徒歩1分の1st St.にあるその店は、今は甥御さんが継いでいる。

ご主人に話を伺ってみると、アメリカでは大きなホームセンターが主流なので、なんでも大量に買うしかなく、釘1本から5セントで買えるような昔ながらの商店は、ずいぶん職人さんたちに重宝されているそうだ。店内には笠とか魚籠とか、茶道具、和包丁、それからかんなやのみなど、日本の道具ばかりが並んでいた。全部日本からの輸入品だ。「こういうものが売れるんですか?」と訊いてみたら、「売れるんですよ。今日も、すき焼きをやりたいからってすき焼き鍋を買っていったお客さんがいたしね。さっきの人はたこ焼きをひっくり返す道具を紙細工に使うからって、4本くらいまとめて買っていったよ」と教えてくれた。


戦争で物がないとき、日本人は掛け軸などの価値ある美術品を進駐軍に売って食糧に変えたので、日本の良い品物はかなりアメリカ人の手に流れていったのだという。そのため、こういうものの価値のわかるアメリカ人というのは多いんだよ、と教えてくれた。それだけでなく、聞くところによると日系の人々の和のたしなみは日本よりも廃れていなくて、例えばツトムさんの長女のロザンヌは20年以上生花を習っていたし、次女のジョー・アンは何十年もお茶のお稽古をしている。お正月のおせち料理は欠かさずに全部ちゃんと手作りだから、日本の多くの家庭のように買って済ませたりはしないと言っていた。これは、彼の家の品格が特に高いからなのか、みんなそうなのか判断がつかないけれど、たしかに私もここで日本の習い事人口が多いことは、肌で感じている。


この店を開いたおじいちゃん、ツトムさんの話に戻る。彼は広島の人だ。もともと戦前から国の政策でこの辺りに来たのは、ほとんどが広島県の出身者だったらしい。でも、今は沖縄の人が多いそうだ。やはり米軍基地があるから圧倒的に接点が多くて、国際結婚で来る人も多いと聞いた。

水曜日になった今日、道でばったりツトムさんと彼の娘夫婦に会った。さすがリトルトーキョーは狭いから、良い人にばったり会える。「今からラーメンを食べに行くから一緒にどう?」と言われて、家族の夕食にご一緒させてもらった。孫のアンドリューもあとから合流した。
99歳の彼は、私のことはもうすっかり覚えていなかった。