14日目

  • On 2018-02-14 ·

今日でここに来て2週間経つ。

朝、いつものようにボランティアに行って、十数件の一人暮らしのお年寄りにお弁当の配達。低収入高齢者住宅「東京タワー」にも顔なじみが増えてきた。配達を終えたら今日は早退した。エヴリンという70歳のLTSCスタッフにランチに誘われていたからだ。

LTSCには月例の朝食会というのがあって、先週の金曜日、グラントが私を紹介するためにその場に参加させてくれた。各セクションからの進捗報告の後、私もみんなに自己紹介をし、そこで興味を持って話しかけてくれたメンバーの中の1人がエヴリンだった。

レストランに向かう途中彼女が足を止めたのは、私も散歩したときから気になっていた場所。地下深くの建設現場に線路が敷いてあるので、ここは何かなーと思っていた。

フェンスには、この場所のかつての写真が掲示されていた。



2世ウィークという大きなお祭りが始まったのは1934年のこと。ものすごい数の日本人が、盆踊りのように列をなして踊っている。このときの2世ウィークには、人種差別反対のシンボルだったチャーリー・チャップリンが招かれたという。さまざまな歴史が刻まれているこの場所に今建設中なのは、新しい駅と駅ビルなのだそう。完成すれば、これからリトルトーキョーを訪れる人々はますます増えるだろう。

エヴリンと一緒に電車に乗って、2駅先のマリアチ・プラザで降りた。今日は珍しく曇っていた。

このエリアはかつてアジア系とラテン系が混ざっていて、日系の人も多く住んでいたというところ。今は主にラテン系の人たちが暮らす。エヴリンは「お金持ちの白人が買い物に来ると、このへんではGo home!って叫ばれるよ」と言った。それは、人々がジェントリフィケーションを恐れているからだ。もし買い占めが起こって地価も物価も上がれば、貧しい人たちはそこに住めなくなり、コミュニティが崩壊する。だから人々は抵抗するのだそうだ。正しい権利を守るための団結。でも、そうして人々が団結するために、そのつもりなく逆の排外主義が生まれてしまう構造について、私は疑問に思ったけど聞かなかった。駅前は大麻の香りがした。(カリフォルニアでは合法)

レストランに入って、ペルー料理を注文した。エヴリンとの会話の中で、これまでの2週間を振り返った。私にとって、ロサンゼルスで生まれた日系パイオニアの子孫たちが、戦後にやってきた新1世たちやコリアンやチャイニーズの福祉について真剣に考えてお世話していることが不思議だと言った。私が出会ってきただけでも日系アメリカ人には「日系」とひとくくりに言えないくらい色々な流れがあって、今ここに生きる経緯も違うし、生活レベルも違う。そんなものすごい混在が興味深くもあり、でも頭はすぐに混乱しそうになる。エヴリンはその通りだと同意した。そして、「日本にだって人種差別があるでしょう。例えば韓国人のコミュニティには難しい問題があるんじゃない」と続けた。私も、たしかにその通りだと同意した。

私が日系の劇団を訪ねたいと言ったら、彼女は帰り道に早速私を連れて行ってくれた。

ここはかつて教会だったところを改装したアートセンターで、「East West Players」というアメリカ初のアジア系劇団が拠点としている場所だ。エヴリンは6年がかりでここの立ち上げに尽力した人だった。たくさんの素敵な出会いがここでまた繋がった。
https://laartcore.org

そしてこの後、高齢者住宅で行われた「あなたの脳を健康に保つ」というタイトルの短いレクチャーに参加していたときに、私の違和感が極まった。その内容はごくありふれたもので、例えば、野菜を中心とした健康な食事、運動、酸素が認知症のリスクを下げる。ヨガ、太極拳、麻雀のようなアクティビティ、そして人と話すことでストレスを解放し、孤独から身を守ることができる。確かに、間違いなくこの会場に集まった人たちにとって認知症は大きな関心ごとであり、切実な問題だ。だとしたらなおさら、今私がここで仮に、何か作品を作って発表し、それを皆さんに鑑賞していただくなら、それもきっと認知症予防のためになる。みんなが認知症予防のために同じ方向を向いて、同じものを食べ、同じアクティビティに参加し、おしゃべりしているというのは、ちょっと、おもしろくない!私は何日も前から気づいていたけれど、毎日のお年寄りとの会話の中には必ず過去の話がすーごくたくさんあって、未来の話が一つもない。

これから、このみなさんの描く未来の話を探すために、もう少し外に出てみようと思った。